影武者 武田信廉は、松平信康が再び、羽柴秀吉に寝返り、桶狭間の谷の北側まで差し迫っていたことは、すでに長久手で狼煙を見た時から察していた。信廉は信康と事前の密約では、長久手では狼煙を上げることは申し合わせしていなかったのである。長久手での狼煙は、信廉にとっては想定外の出来事であったのだ。そして、信廉はその狼煙が慌てて打ち上げられた様子を見て、秀吉による脅しがあり、信康は、それに屈し、再び秀吉側に寝返ったことを直感したのだった。


松平信康は風林火山の旗をめがけて突進した。そこには、武田軍の総大将 武田信玄がいると確信していた。そして信康は 影武者 信廉に近づくやいなや、動揺を見せた。なんと、白いヤクの毛の兜を被った武田信玄の姿をした3人の武将が風林火山の旗の近くに、ところどころにある一定の等間隔の距離を置いて、軍勢の列の中で、白い馬にのり、ゆっくりと進んでいるのであった。


信康はどれが本物の武田信玄か見分けがつかず、うろたえているところをそばにいた弓隊が、容赦なく、信康軍 目がけて弓を立ち放ちはなたれた。そして、数本の矢が大将信康に突き刺さったのであった。そして、一本の矢は信康の胸の急所を突きぬき、信康は落馬し、足軽の兵に囲まれ、ついには一人の足軽兵にとどめをさされ、信康は討ちとられた。信康にとって、実はこの戦が初陣であり、なんと14歳の若さでこの世を去ったのだった。武田軍と戦うには少し若すぎたのかもしれない。


実は、信玄の白いヤクの毛の兜をかぶった3人の武将のうち、一番 後方の武将が武田信廉であり、前方と、中ほどにいる武将は、女忍者 くの一の弟子である甲賀流の忍者で変装を得意としていたのであった。


一方、羽柴秀吉は、桶狭間山から高坂弾正の率いる1千の兵が突進してくるのを察し、これ以上の戦闘は、我が軍の不利と察し、居眠りしている兵を諦め、大高を経て、熱田の陣まで引き返したのであった。弾正は、あえて秀吉は追わず、居眠りしている兵の命は奪わず、また捕慮にせず、ただ、兵たちの武器を全て取り上げたのだった。そして、女忍者が率いる忍者集団に居眠りしている兵を見張らせたのであった。


数時間後、居眠りしている兵はようやく起き上がると、忍者たちは、羽柴秀吉はすでに討ちとられたと偽の秀吉の首を羽柴軍の兵士にさらした上で、何処へともなく消えていったのであった。


                                        つづく