岐阜城 総攻撃の前夜 秋山信友とおつやはいつも通り、寝床をともにした。信友はしばらくの間 おつやに会えないことをさびしく思った。一方、おつやは信友に抱かれつつも、密かに信友の寝首をかく機会を伺っていた。そして、信友がおつやを激しく抱きしめたとき、おつやは密かに寝床の布団の下に隠してあった短剣をそっとつかみ、信友の背中に短剣を徐々に突き刺していった。そして信友の背中からは血が滲みでた。


それに対して、秋山信友はおつやに対し、お主のことをいとおしく思っている。お主に命を奪われるなら本望である。我の命を奪うがいいと言い抵抗はしなかった。おつやの短剣が信友の背中を約5ミリぐらい突き刺したところで、おつやの手が止まった。しばらくして、おつやはゆっくりと信友の背中から短剣を抜き泣きだし、甥 織田信長の密約である信友 暗殺を断念したのだった。おつやはこの時、信友を深く想う気持ちを悟ったのであった。これを機会に信友とおつやの絆はさらに深まっていった。


話をもとに戻し、浜松城での石川数正と築山御前が一夜をともにしていたとき、築山御前は、織田信長と徳姫のやり取りした一通の手紙を数正に見せた途端、数正は顔色を変えたのであった。その手紙の内容は、亡き松平信康の謀反の疑いに加え、数正と築山が禁断の関係にあることが触れられていた。そして、築山は、既に信長は二人の禁断の仲のこと知っており、徳川家康にいずれこのことは信長より知らされ、家康は激怒の上、数正を処の疑いをかけられ、徳川家は危機の状況にあり、武田軍と同盟を組むのが徳川家が生き抜くただ一つの道であると説得したのだった。そして、築山は数正に浜松城を乗っ取り、家康が浜松城に戻ってきたとき、武田の軍旗を揚げ、家康を孤立させた上で、武田軍に寝返らせることを強要すべきだと諭した。


石川数正は、主君 徳川家康を裏切ることには躊躇を示し、築山御前の誘いにはなかなか乗らなかった。そして、ついに築山は、強硬手段に出て、もしこの案に乗らなければ、今までの二人の禁断の関係のことを家康に正直に打ち明けるとともに、この禁断の関係の始まりは、数正からの誘いが原因だといい、その後、亡き息子 元康の後をおい自害する覚悟であると脅した。数正は、築山の脅しになすすべもなく、とうとう主君 家康を裏切り、武田軍に寝返ることを築山に約束したのだった。


一方、徳川家康は浜松城に西にある新居にて武田勝頼の軍勢3千と応戦していた。形勢は勝頼軍が有利で、どんどん家康軍を追い詰めていき、勝頼軍の騎馬隊は大将 家康目が下手突進していった。勝頼軍により家康が討ち取られるのは時間の問題であった。そんなさなか、西の方から武田軍の旗を掲げた一騎の早馬が近づいてきたのであった。

                                     つづく