海峡の光
海峡の光 [単行本]
辻 仁成
新潮社
1997-02


 本作「海峡の光」は97年第116回芥川賞受賞作であり、辻文学の最高傑作です。他の芥川賞受賞作もそこそこ売れるものですが、辻さんの場合は特に話題になってかなり売れました。私も多くの人と同じように、芥川賞を受賞して初めてその作家のことを知る、というパターンが多いですが、この「海峡の光」に限っては受賞前に「新潮」に掲載されているのをたまたま読んで「これは芥川賞を受賞する」とわなわな震えたらやはり受賞しました。

 辻さんはロックバンドの活動をしながら小説を書いているという経歴のため、小説を真剣に書いていても偏見の目で見られることが多くて、本人はかなり悔しい気持ちを耐えてきたようです。今でこそ他の分野のアーティストが小説を書くのは珍しくないですが、辻さんがデビューした89年当時は珍しくて、小説の出来不出来よりも、その存在が何かと文学の道を進むには険しい道となってしまったのです。

 それで辻さんは芥川賞を受賞したのは嬉しかったものの、日本の文壇からは少し距離を置いた形になりました。その後「白仏」という小説がフランスのフェミナ文学賞を受賞し、フランスで彼の小説の評価が一気に高まり、辻さんは日本に見切りをつけてパリに移住し、現在も音楽、映画、小説と精力的に活動されています。


 本題の「海峡の光」ですが、芥川賞の選考会で強く推した選考委員は、宮本輝が◎、日野啓三、石原慎太郎が○でした。

宮本輝

「一気に読んだ。」「辻氏の筆からスタミナは最後まで失われず、不可知な人間の闇を描くことに成功したと思う。」「力あまって、生硬な文章が多用されていて、そこが黙認できないという委員の意見も理解したうえで、なお、私は「海峡の光」の確固たる小説世界を支持した。」「辻氏は、作家としてのある決意を秘めて、この作品に立ち向かっている。その気迫もまた、私は読みながら感じつづけることができた。」

日野啓三

「いささか生硬な漢文的スタイルの文章が、奥行のある硬質の小宇宙(独房がその核だろう)を構築している。」「主要登場人物の心理と行動の変化の点で構成上の欠陥がないわけではない。自然に納得し難い飛躍があるのだが、にもかかわらず小器用にまとまった佳作以上の迫力と魅力があることを納得せざるをえない。」

石原慎太郎

「氏の作家としての力量を感じさせる幅も奥も深い作品である。人間の心、というよりも体の芯に潜む邪悪なるものの不可知さに正面きって向かい合い厄介な主題をとにかくもこなしている。」「ある選者はこの男(引用者注:花井)の衝動は理解出来ないし、作者もそれを描き切れていないといったが、理解できぬ人間の本性の部分を理解を求めて描く必要がある訳はない。」


 私もまた辻さんの作家としての決意をひしひしと感じましたし、その気迫を充分に感じました。やはり小説の中核にあるのは、不可知な人間の闇、体の芯に潜む邪悪なるものの不可知になると思います。一番同感だったのは石原慎太郎の「理解できぬ人間の本性の部分を理解を求めて描く必要がある訳はない」というくだりでしょうか。言葉に出来ないし、どうしても理解できない人間だからこそ、小説になるのではないでしょうか。しかしこの小説のテーマは「善悪」ではありません。真のテーマは花井の到達した「ある境地」にあります。 


 「人間の闇」「邪悪なるもの」をこの小説は「いじめ」という設定から開始しています。実は辻さんの小説には繰り返し「いじめ」が描かれています。おそらく辻さん自身に「いじめ」の強烈な体験があったのは間違いありません。辻さんは父親の仕事の関係で小学生の頃から転校を繰り返していて、その辺に辻さんの最初の人生の問題となる経験をされたと思われます。


 「海峡の光」のいじめですが、いじめるのは「花井」、いじめられるのは「私」で、舞台は函館の小学校です。この小説は最初から最後まで函館が舞台です。辻さんは函館の高校に2年間だけ通っていて、函館という街を多くの作品で舞台としています。その花井という人間の描き方が、この小説そのものであり、作者が一番力を入れているところです。花井の描写は次のように入ります。

 「当時の花井は優等生で、クラスメートたちの人望も厚かった。貧しく地味で薄汚い私にさえ、まるで仏のように手を差し延べ、よく窮地を救われた。ところが私は次第に、花井の優等生ぶりに薄気味悪い居心地の悪さを感じるようになっていく。(中略)花井は老婆を見捨てたが、洋館の塀に凭れていた私に気がつき、立ち止まると背後でうずくまる老女を意識しながら不覚に青ざめ、視線を私に凝固させた。鈍色の瞳はますます曇り、暗く頭骨の内側へとどこまでも深く陥没した。私は、花井の張りぼての両目が溶け出し、奥に広がる暗澹たる内部が露出していくのを楽しんだ。残忍な苛めはその翌日からはじまった。」

 それから十八年の歳月が流れ、「私」は函館刑務所の刑務官、花井はそこの受刑者、という立場になるのですが、もちろん単純に立場が逆転する訳ではありません。これ以上は詳しくご紹介出来ませんが、この二人の心の深淵、心理戦、魂のせめぎあいこそが、この小説の大きなうねりであり、まさに海峡であり、希望も絶望も海峡の光にあるのです。

 この小説は次のような文章で締めくくられることになります。基本的に純文学の場合オチはどうでもいいかもしれませんが、この小説はその着地点を見逃すことは出来ない仕掛けとなっています。ここまでヴェールに包まれていた花井が目指した境地がそこにあります。

 「渡り廊下を出る間際、私は一瞬、花井を見返った。そこだけがぽっかりと、時間から取り残された、のろまな枯れた日溜まりであった」


海峡の光 (新潮文庫)
辻 仁成
新潮社
2000-02-29




本記事は「現代文学4.0」からの転載です。