教養としてのプロレス (双葉新書)
教養としてのプロレス (双葉新書) [新書]
プチ鹿島
双葉社
2014-08-06


 プチ鹿島さんのことを初めて知ったのは、ニコプロでターザン山本さんとトークしているのを見た時だった。ターザン山本さんは相変わらずのテンションだったが、その山本さんとプロレスについての会話を非常にわかりやすく成立させるその手法に舌を巻いた。

 そのプチ鹿島さんが自著の「教養としてのプロレス」を宣伝していて興味を持った。そして次の日に本屋へ行くと一冊だけ「教養としてのプロレス」が置いてあるのを発見し、これは私のために置いてあるのだと即購入した。

 「教養」と「プロレス」。誰もが正反対のイメージを持つ単語をタイトルにしたセンスには脱帽だ。世の中の70%くらいの人々は無視するだろう。帯には「最低限必要な教養とは読み書きそろばんプロレス」との刺激的な文言がある。しかしこれだけではおそらくまともな社会人にはなれず、プロレスラーかプロレスマスコミかお笑い芸人になるしかないのではないかと思ったが、本書を読むとそうでもなくて、立派な社会人としてもきっと通用するだろう。

 本書を読み進めて強く感じたのは、2014年のG1で柴田勝頼が本間戦の後に残したコメント「俺も馬鹿だけどあいつも相当馬鹿だな」である。プチ鹿島さんも相当馬鹿だ。誤解しないでもらいたいのだが、これは最高の賛辞である。

 「人生という四角いジャングルを生きるためのプロレス脳を活かした思考法の数々を開陳」との記述もあるが、思考法についての文章はいわばおまけのようなものに感じた。はっきり言って本書はプチ鹿島さんのプロレス愛の総決算だ。「昭和の時代から今日までプロレスファンを続けてきて本当に俺は幸せだ」としみじみしているのが本書なのである。

 初心者、プ女子のみなさんも十分に楽しめる本になっていると思うが、プロレスファン歴が長い人たちだと、さらに本書に魅了されるような気がする。本書でプチ鹿島さんがもっとも言いたかったことは、「プロレスファンで良かった。俺の歩んできた人生は間違いではなかった。」ということに尽きるのではないだろうか。

 とにかく面白すぎて読後は疲れた。それぐらいプチ鹿島さんは熱量を発しているし、力を入れて夢中になって読んだ。「教養としてのプロレス」とは「誰にとってもプロレスは教養となりうる」ということだけではなくて、プチ鹿島さんの生き様がプロレス的ということでもある。「この本は実はプロレス本ではない」と前書きに書いてあるが、私にとって本書は純度100%の最高のプロレス本だった。