東大助手物語
中島 義道
新潮社
2014-11-18



  中島義道さんの数多くある著作の中で個人的にもっとも繰り返し読んだのは、「孤独について〜生きるのが困難な人々へ」である。サブタイトルの「生きるのが困難な人々へ」という文言に惹かれて購入した。「孤独について」は「生きるのが困難」だった中島さんの生い立ちから学者になり半隠遁するまでを描いた自伝的作品になっている。

 中島さんは本当に生きることに苦労した。あとがきにはこう書いてある。「自分のぶざまな人生について書いてみたいと思っていた。なぜ周りの者たちがスイスイと進んでゆくところを、自分ひとりだけ転倒するのか?なぜ、こんなにも他人とうまくいかず、なぜこんなにも生き方が下手なのか?なぜこんなにも自分が嫌いなのか?そして他人はもっと嫌いなのか?つまり、なぜこんなにも生きるのが困難なのか」

 「孤独について」の中でも、東大助手時代のことは「第四章 孤独を選びとる」に描かれている。この助手時代のことを更に詳細に書いたものが本書東大助手物語』である。この時期の経験がよほど強烈なトラウマになっているようだ。Y教授によるいじめにより「世間嫌い」は完成し、揺るぎないものになった。

 まだ僅かながら世間に未練があった中島さんに引導を渡したのがY教授なのだ。そのY教授に対する恨みたるや想像を絶するものがある。「大学でのいじめ」がどのようなものだったのか?本書には詳細に、執拗に、怒りと屈辱と哀しみを込めて、「血の文字」で書かれてある。

 中島さんはウィーン大学で博士号を取得したものの、日本での職がなかなか得られない。そんなある日のこと、ウィーンで知り合った東大教養学部のY教授から、「助手として来ないか」という手紙を受け取る。中島さんは「この失敗続きの私が東大に行けるとは、なんという幸運だろう」 と喜びにむせび泣く。ところがそれが地獄の始まりだった。業界では有名なほどY教授からいじめられたのである。

 それにも関わらず中島さんは、今ではY教授は恩人だと言う。それは「私に、他人から離れ、人生を半分降りること、孤独を楽しみ、活用し、磨き上げる道を指示してくれた」からである。なんという壮絶な、過酷な道であろうか。読者は言葉を失う。

 Y教授のいじめは突然はじまった。「これからは、きみの態度で悪いところがあったら、はっきり言うことにするからな」と青筋を立てて怒鳴りだしたのだ。その後も「きみはなんでそんなに自分勝手なんだ」「親の顔が見たい」「みんな悪口を言っているぞ」などの罵詈雑言である。中島さんは絶えず罵倒される生活がやりきれなかった。山のような屈辱を味わった。ほとんで生きてゆけないほど傷ついた。

 そしてついに中島さんは本気でキレた。学科長のN教授の自宅に電話し、「Y教授による仕打ちにもう耐えられません」と訴えたのだ。N教授はY教授に事情聴取したが、Y教授は「根も葉もない嘘だ。中島は気違いだから、嘘ばかり言っているのだ」と逆に怒り狂ったのである。Y教授は筋金入りの異常な人間だ。人間というのはこんなにも残酷で暴力的になれる存在なのだ。

 その後もY教授の狂気はエスカレートした。「中島はどこだ!」「中島は気違いだ!」「中島に殺される!」などと叫び続けたのである。そしてとうとうN教授から中島さんは「事件があるといけないので大学をやめませんか」とまで言われたが、中島さんは逃げなかった。その後、中島さんはようやく助教授の職を得た。それまでの長い人生で、やっと休息が与えられたのだ。

 しばし幸福な時間を過ごした中島さんだったが、それで丸く収まった訳ではなかった。中島さんは幸福とはおもしろいものではないのだと感じる。そして「自分の生きにくさの原因を探ろう」と渾身の力をふり絞るのだった。中島さんはなぜ自分はこんなにも苦労し続けねばならないのか不思議にも思う。

中島さんは中原中也の「わが半生」から引用する。

「とにかく私は苦労してきた。苦労して来たことであった!」

そして中島さんは叫ぶ。「世界中の他人よ!私を死ぬまでそっとしておいてほしい」

東大助手物語
中島 義道
新潮社
2014-11-18