風の歌を聴け (講談社文庫)
風の歌を聴け (講談社文庫) [文庫]
村上 春樹
講談社
2004-09-15


 私の部屋の本棚には「風の歌を聴け」の文庫本が5冊並んでいます。神戸へ旅行に行くと、急にどうしても「風の歌を聴け」が読みたくなって、本屋さんに飛び込んで文庫本を買ってしまうからです。村上春樹さんは兵庫県西宮市・芦屋市育ちで小説の舞台のモデルにしているのですが、神戸の街は私に「風の歌を聴け」をリアルに想起させるようです。

 三宮の駅を降り、海の方へ向かってテクテク歩く。海はもうすぐそこです。ふと後ろを振り向くと山が迫ってきます。海の香りと山の匂いが交じり合っている。道の真ん中で、ポケットに手を突っ込んで狭い空を見上げる。中華街で買った肉まんを頬張りながら、メリケンパークへ。そしてポートタワーを見上げる。

 テトラポットの上に腰掛けて、港の風景を眺める。大きな船が停泊しています。茶色の倉庫街が並んでいる。そして「風の歌を聴け」のカバーの佐々木マキさんの装画を見ると、もう自分は「風の歌を聴け」の世界に迷い込んでいるのでした。

 この佐々木マキさんの装画は何百回見ても素晴らしい。これだけ的確に小説世界を描いた装画というのはなかなかないと思います。はっきり言って佐々木マキさんは天才です。もし装画を描いたのが佐々木マキさんでなかったら、この小説が読者へ与えるイメージは全く違ったものになったのではないかと思うくらいに凄い装画だと思います。 

 本書のあらすじを要約すると、「1970年の夏休み、東京の大学へ通う<僕>が帰省し、友人の<鼠>とジェイズバーでビールを飲んだり、バーで知り合った女の子とつきあったりして短い夏休みを過ごす物語」となります。 物語らしい物語はありません。70年8月8日から26日までのたったの19日間の物語です。

 それでもこの小説を読むたびに、私は宇宙旅行をした気分になるし、短い夏休みが永遠に思えるのです。全く新しい不思議な小説です。そしてまたこの小説には、その後の村上春樹さんが生み出していく多くの小説の原点がちりばめられているようにも感じます。小説家はデビュー作にその時点での全てを注ぎ込むと言いますが、まさにその通りです。

 村上春樹さんは本作で1979年群像新人賞を受賞してデビューし、第81回芥川賞の候補となりました。群像1979年6月号に受賞作と共に村上春樹さんの「受賞の言葉」も掲載されました。

”学校を出て以来殆どペンを取ったこともなかったので、初めのうち文章を書くのにひどく手間取った。フィッツジェラルドの「他人と違う何かを語りたければ、他人と違った言葉で語れ」という文句だけが僕の頼りだったけれど、そんなことが簡単に出来るわけはない。四十歳になれば少しはましなものが書けるさ、と思い続けながら書いた。今でもそう思っている。受賞したことは非常に嬉しいけれど、形あるものだけにこだわりたくはないし、またもうそういった歳でもないと思う。”

 村上春樹さんでさえ、初めは小説を書くのに手間取ったのです。このくらいのレベルの作家ともなれば、スラスラと凄い小説をすぐに書けたのかと思っていましたが、もちろんそんなはずはありません。レベルの高い作家だからこそ、小説に対する理想も高いのは当然。ましてや村上さんはフィッツジェラルドを念頭に置いて小説を書いていたのです。

 「他人と違う何かを語りたければ、他人と違った言葉で語れ」。他人と違った言葉を生み出すのは、新たに文学の世界に参入する新人に必要なことですが、村上さんはその遥か先を見ていたに違いありません。少なくとも私には「風の歌を聴け」は「他人と違う何かを語るために、他人と違った言葉」で語ろうと苦心し、何度も何度も書き直した小説として輝いています。

 小説の書き出し、”「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」僕が大学生のころ偶然に知り合ったある作家は僕に向かってそう言った。」”のある作家とはもちろんフィッツジェラルドです。

 そして第81回芥川賞の候補にもなりましたが落選しました。選考委員の選評によると、丸谷才一が△、瀧井孝作が△、吉行淳之介が△、遠藤周作が△、という評価でした。

丸谷才一「アメリカ小説の影響を受けながら自分の個性を示さうとしてゐます。」「もしこれが単なる模倣なら、文章の流れ方がこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。それに、作品の柄がわりあひ大きいやうに思ふ。」

瀧井孝作「このような架空の作りものは、作品の結晶度が高くなければ駄目だが、これはところどころ薄くて、吉野紙の漉きムラのようなうすく透いてみえるところがあった。しかし、異色のある作家のようで、私は長い眼で見たいと思った。」

吉行淳之介「芥川賞というのは新人をもみくちゃにする賞で、それでもかまわないと送り出してもよいだけの力は、この作品にはない。この作品の持味は素材が十年間の醗酵の上に立っているところで、もう一作読まないと、心細い。」

遠藤周作「憎いほど計算した小説である。しかし、この小説は反小説の小説と言うべきであろう。そして氏が小説のなかからすべての意味をとり去る現在流行の手法がうまければうまいほど私には「本当にそんなに簡単に意味をとっていいのか」という気持にならざるをえなかった。」

 村上春樹さんは落選したことにもちろん落胆したでしょうが、この選評を読んでどう思われたのでしょうか。村上さんは物凄く高い志を掲げてデビューしたはずです。世界文学をひっくり返してやるくらいは思っていたでしょう。だから選考委員に自分のやろうとしたことが伝わらなかったというジレンマに陥ったかもしれません。

 或いは「俺のやろうとしていることを古い作家たちに見抜けるはずがない」と思ったか、「確かにこの小説はまだまだ未熟だ」と反省したでしょうか。それでも丸谷さんの「作品の柄がわりあひ大きいやうに思ふ」、瀧井さんの「異色のある作家のようで、私は長い眼で見たいと思った」という好意的な評価には先見の明もありました。

 今振り返ると70年代の終わりに登場した村上春樹さんは、日本の出版界・読者にとって大事件でした。全く予想外のところから突然変異のように出現した作家でした。そして大きな時代の流れを作り出しすことになります。この流れの中から、80年代以降に従来の文学とは全くカラーの異なる小説が続々と発表されることになったのでした。

”たっぷり一時間かけて僕はハートフィールドの墓を捜し出した。まわりの草原で摘んだ埃っぽい野バラを捧げてから墓にむかって手を合わせ、腰を下ろして煙草を吸った。五月の柔らかな日ざしの下では、生も死も同じくらい安らかなように感じられた。僕は仰向けになって眼を閉じ、何時間も雲雀の唄を聴き続けた。この小説はそういった場所から始まった。そして何処に辿り着いたのかは僕にもわからない。”(「風の歌を聴け」からの引用)

 
風の歌を聴け (講談社文庫)
村上 春樹
講談社
2004-09-15




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