コバーン

 大槻ケンヂのエッセイ集「猫を背負って町を出ろ」の「カート」を読む。カートとはロックバンド「ニルヴァーナ」のボーカリスト「カート・コバーン」のことである。

 大槻ケンヂ(以下オーケン)は東京へ向かう新幹線の中でカートの死を知った。カートが死んだ日オーケンは自身がボーカルを務めるバンド「筋肉少女隊」のアルバム・プロモーションのため名古屋にいたのだ。各メディアで同じプロモーショントークを繰り返し、「ロックもしょせんは商売」とうんざりしている。肩書きはロッカーでも、やっていることは工場のベルトコンベヤーや保険のセールスマンやたこ焼きやと変わらない。こんなはずではなかった。オーケンは普通の仕事がしたくなかったからロッカーを目指し、ようやく夢が叶ってロッカーになれたはずなのに・・・

 夭逝したロッカーは珍しくない。そもそもロッカーとは悩める若者たちを代表して夭逝するのが本来の使命である。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、マーク・ボラン、ジム・モリソン、シド・ビシャス、そして日本では尾崎豊。オーケンは彼らが「商業化される己のロックに抵抗し、自分本来のロックを永遠に守るため」に死を選んだのだと分析する。しかしオーケンはそんな彼らを「バカだ」と冷たく突き放す。

 オーケンは自殺したカートを「君は自意識過剰のガキだ。そして卑怯者だ」と裏切り者扱いをする。それはオーケンがカートの気持ちを痛いほどわかるからだ。オーケンも自意識過剰のガキだった。しかしオーケンは死ななかったし、これからも死なないだろう。オーケンも「職業としてのロック」に対し「こんなはずじゃなかった」と葛藤した。それでも「死」ではなく「いかにロッカーを続けるか」を模索した。

 そして「砂浜の中の一粒に過ぎないかもしれないが、異常に輝く一粒」を目指せばいいではないかと自分を納得させたのだった。オーケンはカートにかつての自分を見た。いやカートはかつての自分の何百倍も売れていたし輝いていた。だから自殺されたオーケンは裏切られたと思った。カートを恨んでいる訳ではないし憎んでもいない。本当に悔しくて悲しいのだ。才能あるロッカーが夭逝することがオーケンには残念なのだ。死ぬことによってではなく生き続けることによって自身のロックを守ってほしかったのだ。

 バラエティ番組の楽屋でオーケンと一緒に「カート自殺のニュース」を見ていた笑福亭鶴瓶さんは呟いた。「なんで死んだりするんやろうなあ。どうせ人間いつかは死ぬのになあ」。オーケンはきっとその言葉を心の中で優しくカートに語りかけたのではないかと私は想像している。