町田康

 町田康さんのエッセイ集「つるつるの壺」に「ロックの老いの坂」というエッセイが収録されている。最初に次のような引用。「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸を磨く以外に、世間へのお返しの途はない。また芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」(桂米朝「落語と私」)。

 「国家有用の人材たらんと勉学に励む級友たち」を尻目に、「俺ってそういうこと苦手だよなー」なんて嘯いてセックス、ドラッグ、ロックンロールにおおいに励み、芸人よりさらに世間の生産活動と遠いところにいる「パンク歌手」に町田さんは成り下がった。町田さんには勉強する気力などゼロだったし、公務員や会社員になる自分も想像できなかった。

 そんな町田さんにとって特に「末路哀れは覚悟の前やで」というところには「間違えありません」と「署名捺印」したくなる。これはいわゆる堅気の道をあえて拒否し、己の才能を過信し、お笑い芸人とか画家とか音楽家とか作家とか漫画家とか映画監督とか役者とか目指したけど、やっぱり才能もなかったし全然売れなくて、仕方なくアルバイトで最低限の生活を維持し、結婚もできず家も建てられず安アパートで孤独に老いていく、という最低最悪の人生パターンである。

 まことに町田さんならずともこの言葉が「心に沁みる」人は多いのではないか。町田さんも「末路?そんなの関係ないぜ。今が楽しければ俺はいいのだ」と思っている訳では全然なくて、カリスマパンク歌手とは思えないくらい末路に心底怯えている。末路は町田さんの脳裏に次のようなイメージとして繰り返し押し寄せる。

 「命の終わりたる際、すきま風の吹き込む、赤茶けてけばだった畳の上、枕元に、鍋、やかんの横転したる、電灯を点灯させているのにもかかわらず妙に薄暗い部屋、尿臭たちこめる敷き放しの布団にくるまって孤独のうちに、負けました」。

 何ともぞっとする光景ではないか。「すきま風」「赤茶けた畳」「やかんの横転」「薄暗い部屋」「尿臭たちこめる布団」というアイテムは、町田さんが夕方前にむくりと起き上がり、することもないから安酒を飲みながら見ていたテレビの時代劇の一コマのようである。

 ただ芸人関係といっても様々である。例えば、落語家、浄瑠璃、ジャズなどの明確な形式を有するジャンルには定年がなく、若い頃に売れなくても老いてから売れる可能性もある。しかしロック・パンクは「25歳という年齢が一般社会の定年」なのだそうだ。

 なぜならばロック・パンクとは「若い者の、その無軌道、その無目的、その未熟、その乱暴さ、その無分別といった、若さによる衝動のごときによって創始せられた音楽のひとつの様態を指す呼称」だからなのだ。

 しかしそんなことはそこまで考えなくてもわかることである。「いつまでも馬鹿やってらんねーしなー」というヤンキーの「箴言」ですでに証明済みのことなのだ。ところが町田さんは「くち惜しいことに、そういうことがまるで分からなかった」。自分の思慮が足らぬ、浅はか、怠惰さを嘆くばかりだ。

 そして町田さんは30代となってもべんべんとパンク歌手を続けてしまったのだが、ここで廃業、監獄行き、非業の死、とはならなかった。幸運なことに町田さんには文学の才能があり、文学という形式を獲得する努力を無意識のうちに重ねていたのである。そういう訳で誠に幸運なことに仕事の重心を「文学」へシフトすることに成功したのだった。今では文学賞も総なめにし、連載を多数抱え、文学賞の選考委員まで務める日本を代表する作家である。

 だからと言って町田さんが自分の人生はもう安泰であると安心し、健やかに毎日を送っているかというと、必ずしもそうではないような気がする。というか町田さんは自分の人生に安心なんか絶対にしない。どれだけ作家として成功しようが、自分の中のかつて「パンクを志した自分」は消えていないはずだ。

 だから今でも町田さんは「末路哀れは覚悟の前やで」と呟き続けているような気がする。そしてそれは情けないことでもないし、大バカ者でもないし、浅はかでもないし、怠惰でもない。町田さんは自分が広義の芸人であり続けていることに誇りを持っている。そんな自分にいつまでも正直でいたい。悲惨な末路を先送りせず、そこから目をそらさずに書き続けている町田さんは最高にカッコイイと思う。