女性たちの貧困 “新たな連鎖"の衝撃
NHK「女性の貧困」取材班
幻冬舎
2014-12-16


「格差の拡大」という言葉が流行し貧困への関心が高まる中、女性の貧困を取り上げる本が増えている。例えば「高学歴ワーキングプア(水月昭道)」「シングルマザーの貧困(水無田気流)」「最貧困女子(鈴木大介)」「最貧困シングルマザー(鈴木大介)」「高学歴女子の貧困(水月昭道)」「女性たちの貧困」「失職女子(大和彩)」「若年女性の貧困」などがある。

「AERA(2月23日号)」では著者である鈴木大介さんと水月昭道さんと水無田気流さんが「貧困本」について鼎談をしている。その一部を引用させて頂きながら貧困本をご紹介したい。

「高学歴女子の貧困」の著者である水月さんは、「貧困」=「低学歴」という世間の常識に鋭く切り込むために「高学歴女子」と「貧困」という単語をタイトルに入れて対比させ、読者を驚かせて貧困の実態を直感的に感じさせる意図があったという。高学歴でも貧困というのはレアケースではなく構造的な問題なのだ。

「シングルマザーの貧困」の著者である水無田さんも、所得水準が高く知識やネットワークに恵まれた人を登場させ、決して他人事の問題ではないことを多様な階層の人に伝えようとした。ちなみに最初のタイトルは「シングルマザー問題」にするつもりが、編集者から「貧困」が受けそうだという注文があってタイトルを変えたとのこと。

これはいいことなのか悪いことなのか微妙である。「貧困本」を買う人は貧困ではない訳で、その動機は不純であることが多いのではないか?つまり自分より不幸な人を観て安心するというような。

水月さんは「可視化は重要ですが、貧困を見せ物にすることにつながりませんか」と懸念を表明し、水無田さんも「サファリパークの安全な車の中から、貧困女子という珍獣を眺めて、かわいそうだね、と日常に帰っていくような人たちに消費されてしまうだけ」になることを問題視する。

そして「格差」と同様に流行している「自己責任」という言葉のバッシングが貧困本にも多い。鈴木さんはそれが貧困が社会問題になりにくい背景だと分析している。水口さんも「自己責任論は格差社会で自分より困難な状況にいる人を叩きたくなる心理で、社会問題として考える機会そのものを捨てている」と自己責任論が貧困の社会問題化を邪魔していることに同意する。

貧困を社会問題化する方策として水月さんは「貧困者の声を客観的に可視化する人を育てる」ことが必要だと言い、鈴木さんは「誰かが自己責任論を唱えたときに反論できる材料」を提供し、「女性と子供の貧困を放置すると生産人口が減るリスクがある。貧困政策は『国策』であり、『自己責任論』なんてカッコ悪い」と言っている。

この「自己責任論なんてカッコ悪い」という空気を作り出すのはすごく大事なことだと思うし、この鈴木さんの発言はカッコいいと思う。「格差」と「自己責任論」という単語が多くのメディアを賑わせているが、なかなか議論が深まらない印象を受ける。

それはこのふたつの単語がバラバラのシーンにおいて、バラバラの意図のもとに使用されているからではないか?

個人的には「自己責任論」という言葉を簡単に使うのは安易すぎると感じている。ではどういう場面で使うのが正しいのかというと難しくて、例えばこういう貧困関連の本にまずは限定して「格差」と「自己責任」という単語の使われ方の問題点を炙り出し、そこから議論を広げていけばいいのではないかなどと考えている。

そんな貧困本は短期間で消費されて終わるのではなく、なるべく多くの人に貧困は自分も無関係ではない構造的なヤバイ社会問題だと認識させることが出来たら成功だろう。


女性たちの貧困 “新たな連鎖"の衝撃
NHK「女性の貧困」取材班
幻冬舎
2014-12-16

最貧困女子 (幻冬舎新書)
鈴木 大介
幻冬舎
2014-09-27