角川インターネット講座4 ネットが生んだ文化 誰もが表現者の時代
角川インターネット講座4 ネットが生んだ文化 誰もが表現者の時代 [Kindle版]
KADOKAWA / 角川学芸出版
2014-10-25


本書「ネットが生んだ文化」の趣旨は「いままで語られてきたインターネットの歴史とは、ビジネス・技術的視点からの正史である。従来、ないがしろにされてきた日本のインターネットにおける文化的側面を振り返り、どのような精神風土のもとに、いまの日本のネット状況が生まれたのか整理する」というものだ。

本書は全7章から成るが「序章 ネットがつくった文化圏」では川上量生さんが、ネットという新大陸と原住民の存在、ネット民を知る上で重要なリア充という概念、炎上のメカニズム、コピー文化、模倣、二次創作、嫌儲の旗印を掲げる情報強者たち、ネット原住民の未来、といったトピックに関しての考察を述べている。

本書のテーマである「インターネットの文化的側面」とは、「インターネットを現実の一部あるいは現実そのものとして生活をしてきたネットユーザー視点の歴史であり、インターネットに住む人々の文化や思想の変遷の歴史」である。

川上さんは「ネットに住んでいると形容したほうが適切であり、当人たちもネットの住民であると自覚している多数の人々」が存在しており、「このことをまず受け容れなければインターネットの文化とそこで起こっているさまざまな事象の大部分が理解できないだろう」と語る。

つまり読者は自分の認識を改めないと、本書の議論についていけないということだろうか。「現実から離れてネットに住んでいる住民はたくさんいる」ということを改めて認めて理解しないと、この先は理解できないということだろうか。

この概念について川上さんは「ネット新大陸」という造語を使って説明する。新大陸=ネット世界、旧大陸=現実世界である。そしてインターネットの発展の歴史とは、「旧大陸から新大陸へ人々が移住してゆき、人間の勢力圏を拡大していった歴史」であると考える。つまり我々は知らないうちに新大陸へ移住していたということなのだろうか。ここに至って我々は自分たちの存在を「大陸における小さな存在」であると再認識する必要がある。

それではネット新大陸へ最初に移住を始めたのはどんな人種だったのか。彼らは旧大陸の中でも進歩的な考え方を持った知的エリートだった、というのは間違いである。それはビジネス・技術的側面でしかない。文化的側面から見ると彼らは「旧大陸になじめない人々」だった。知的エリートとは正反対の人種から移住が始まったのだ。この考え方がまさに「従来の正史とは異なるインターネット史」ということであろう。

だから早くから移住をした人種というのは、「現実社会に居場所がない」哀しい人種だったのだ。川上さんは彼らを「ネット原住民」と呼び、後から入植してきた人たちを「ネット新住民」と呼ぶ。「ネット原住民」と「ネット新住民」の違いは「旧大陸との関わり方」である。

旧大陸に居場所がなかったネット原住民は、新大陸では「生まれ変わった人生」を過ごしている。一方で新住民にとってネット新大陸は「旧大陸の延長」と考える。つまり川上さんの提唱するネット文化を理解するための前提とは、「現在のネットには先にこの大陸に移住してきたネット原住民とあとから入植してきたネット新住民とがいて、彼らの間に大きな文化の違いが存在する」ということだ。

なぜならインターネットの文化的歴史とは、ネット原住民と新住民の文化的衝突だからなのだ。それはカッコイイものでもないし、綺麗なものでもない。それは「負のインターネット史」と言い換えることもできる。それはネット上で発生した暴動の歴史なのだ。

テロリストとの戦いに知らないうちに巻き込まれていたように、誰もがネット上の戦争に巻き込まれていたのだ。だから川上さんは「原住民の文化を尊重し、負の歴史を知ることこそが、ネットを理解するためには欠かせない」と提案している。

つまり川上さんの狙った本書の役割は、ネット原住民のことを理解してもらうことなのだ。そのために本書は「リア充」「炎上」「コピー」「嫌儲」をキーワードに、各執筆者に論を展開してもらっている。特に次のような指摘は、川上さんにしか出来ない鋭い指摘であろう。

「どんなにネットに現実世界が流れ込んでも、リア充勢力が多数派になっても、ネット原住民の影響力が低下することはない。なぜなら、彼らは暇だからだ。会社員が仕事をしている間も、リア充がデートをしている間も、彼らはありあまる時間をもつがゆえに、ずっとネットにへばりついていることができるのだ」