コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと (NHK出版新書 458)
コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと (NHK出版新書 458) [新書]
川上 量生
NHK出版
2015-04-10


本書「コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと」の最大のテーマは、「コンテンツとは何か?」「クリエイターとはなにをやっている人たちなのか?」「天才クリエイターとふつうのクリエイターの差とはいったいなんだろうか?」というものです。川上さんはスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーに弟子入りしたのですが、毎日このテーマを考えていたそうです。

私たちは当たり前のように「コンテンツ」「クリエイター」という言葉を使っています。しかし改めて「コンテンツとは何か?」「クリエイターとは何か?」と問われると、なかなか上手く説明できません。インターネットやスマホで見たり読んだりしているものは全部コンテンツではないかという気がしますし、テレビ、雑誌、本、新聞などが提供している情報や作品もコンテンツだと言えそうです。

そしてそういうコンテンツを作っているのがクリエイターではないかと素朴に思うのですが、どうやらそんな単純な問題ではないようです。川上さんがジブリで考えた「コンテンツ」「クリエイター」の定義とは一体なんなのでしょうか?

川上さんはスタジオジブリの東小金井のスタジオに初出社した日、宮崎駿さんに挨拶に行きました。その時に宮崎さんから言われた言葉は、川上さんに一生忘れない強烈なインパクトを残しました。目の前に座った川上さんをジロリと睨んだ宮崎さんはこう言いました。

「なにしにきた。ここにはなにもないぞ」

どういう意味でしょうか?なぜ初対面の川上さんに向かって、こんなに冷たくて厳しい言葉を発したのでしょうか?どうやら冗談ではなさそうです。続けて宮崎さんは、「乾いたぞうきんを絞って、もう才能なんて一滴も残っていないのにつくり続けている」と語りました。川上さんの目の前には、「いまなお創作の苦しみに日夜もだえ続ける老クリエイターの姿」がありました。

芸術家の創作意欲は、年齢と共に衰えていくとよく言われます。才能の塊のように見える宮崎さんですが、そんな宮崎さんでさえ才能の衰えには勝てないということでしょうか。どれだけ才能があっても創作の苦しみは変わらない。いや才能があればあるほど創作はより苦しいものになるのかもしれません。

それから川上さんは、毎日のように鈴木さんと行動を共にしました。一緒に車で移動し、打ち合わせにも同席させてもらいました。そんな生活が2年間続きました。川上さんの人生のなかでも、「不思議な夢を見ていたような特別な時期」でした。

鈴木さんは川上さんからニコニコ動画の話を聞くと、「それは昔、ぼくがアニメージュでやっていたことと同じだ」と言いました。そして「川上さんも、しくみをつくる側から、モノをつくる側に移る時期なんじゃないか。ぼくもそうだったもん」とよく言われたそうです。

アニメージュもニコニコ動画も、「しくみ」という意味では同じなのでしょう。そのしくみとは、ユーザーがクリエイターとなってコンテンツをつくり、お互いのコンテンツを発表する場ということだと思います。そこまではわかるのですが、「しくみをつくる側から、モノをつくる側に移る」とはどういう意味でしょうか?

インターネットの世界では、「新しいしくみを作る者が成功する」というイメージがあります。川上さんはその代表のはずでした。しくみの中でクリエイターを演じるユーザーよりも、そのしくみを作った川上さんの方が上にいる。そんな印象を持っていたのですが、鈴木さんの考えは違うようです。非常に謎めいた言葉です。川上さんは「モノをつくるとはどういうことか?」と自分に問いかけたのでした。

ジブリでいろいろなクリエイターの人たちと話をした川上さんは、「それぞれコンテンツのつくり方が違う」ことに気づきました。理論にもとづいてつくる人もいれば、直感でつくる人もいました。そこで川上さんは「コンテンツをつくるうえで、理論と直感の違いとは何か?」という疑問も持ちました。

真のクリエイターとは理論を重視するのか、それとも直感を重視するのか。おそらくこれはクリエイターにとっても大きな悩みのはずです。理論ばかり考えていては、いつまでたっても作品の制作が進まないでしょうし、直感だけでは作品は成立しないはずです。そこには才能のあるクリエイターとは何者か?という問いに対するヒントがありそうです。

そんな感じでジブリの見習いプロデューサーを続けた川上さんは「いわゆるトップクリエイターたちがどんなことを考えてコンテンツをつくっているのか。そういったエピソードを伝える資料として価値がある本」を書けるのではないかと思いました。だから本書は川上さんの「ジブリプロデューサー見習いの卒論」でもあるのです。