「生存は保証されていないが、自由」と「自由ではないが、生存は保証されている」のどちらを選択するか?

この問題を考えるために、佐々木さんは本書を書きました。佐々木さんによるとこの問題は「21世紀の世界における困難な問いかけ」だそうです。読者の数だけ問題自体の解釈は存在すると思いますが、佐々木さんは本書で読者にどのような材料を提供してくれているのでしょうか。 

いまの日本社会を佐々木さんは「自由はあるが、貧しさが拡大し、豊かさの底が抜けてしまっている。格差は広がり、不平等が放置されている。失敗した人は自己責任を問われ、社会から退場を促される。こういう状況は、公正ではない」と考えています。

中間層の没落、貧困層の拡大・固定化というよく取り上げられている問題ですが、佐々木さんは「自由だが公正ではない」と考えているようです。つまり佐々木さんは現在の日本社会は「生存は保証されていないが、自由」な社会に向かっていると感じているのでしょうか。

毎日ニュースでは「集団的自衛権が悪い」「原発が悪い」「自民党が悪い」「米軍基地が悪い」「大企業が悪い」「中国・韓国が悪い」「資本主義が悪い」「リベラルが悪い」「平和主義が悪い」「差別が悪い」「環境破壊が悪い」などの非難が溢れています。

非難する方は当然自分は正義だと信じている訳ですが、それに対して佐々木さんは「正義と正義を競い合っても、得るものはない。必要なのは正義ではなく、みなが生き残ることではないのか」と主張します。

冒頭の「生存は保証されていないが、自由」と「自由ではないが、生存は保証されている」のどちらを選択するか?という問題は、「貧しくても、自由を求めるのか?」「それとも自由を犠牲にしても、豊かで安定した生活を望むのか?」と言い換えることもできます。

もはや我々は「自由で豊かで安定した生活」は期待できないのでしょうか。「この困難な問いかけに答えてくれる政治は、いまのところ存在しない」と佐々木さんは絶望しています。

おそらく多くの人たちが「生存は保証されていない」と強い危機感を抱いているはずです。本来は救済されるべき弱い立場の人たちが、救済されることなく次から次へと死んでいます。もしかして私たちは「生存は保証されていないし、自由でもない」「自由を犠牲にしても貧しいまま」という社会に、ごく一部の人たちを除いて、突入する可能性もあるのでしょうか。