オールド・テロリスト
村上 龍
文藝春秋
2015-06-26


すごい小説を読んでしまった。今も神経や細胞がざわざわ騒いでいる。強烈な出来事の連続で時間の感覚が麻痺している。村上龍の最新長編小説「オールド・テロリスト」は村上龍にしか書けない小説で、村上龍は一作一作進化しているが、相変わらずの村上龍に長年のファンとしては嬉しい限りだ。誰もが納得する傑作であり、新たな代表作と言っていいだろう。

村上龍の奇跡的な想像力は健在だし、どのような舞台にもリアリティをもたせる文章も天才的だ。過去の作品だと「コインロッカー・ベイビーズ」「コックサッカーブルース」「共生虫」などに近いだろうか。扱っているテーマは極めてシリアスだが、コミカルなところもあるし、ミステリのテクニックも駆使されているし、膨大な情報が詰め込まれている。極上のエンターテインメントであると同時に、紛れもなく現代文学の最高峰に位置付けていい小説だ。

村上龍は「限りなく透明に近いブルー」で若者の文化、風俗を描くことによりデビューし、瞬く間に人気作家となったが、本作では老人たちの文化、風俗を描いている。それは村上龍自身が年齢を重ねたことを強く意識しているのと、読者もまた年齢を重ねたことによる必然だったのではないか。

老いについて主人公のセキグチはこう考える。「老いには抵抗できない。絶対的な事実で、あきらめと自己嫌悪と怒りを生む。年老いて、あきらめと自己嫌悪から逃れるためには、怒りを活用するしかないのかもしれない」。この言葉が「オールド・テロリスト」を書いた村上龍の動機の一つではないか。

この小説の世界は現実感が薄い。必要不可欠なものが一貫して失われている。主人公のセキグチはフリーの記者だったが、人生に必要不可欠なものである家族、仕事、そして誇りを失った。 自分のことを「ひねくれ者で、正真正銘の貧乏人で、人生の敗北者だ」と考えている。

そんなセキグチはNHKのテロ事件を取材することに偶然成功し、ある出版社の契約社員となり、テロ事件を追いかけることになる。テロの実行犯はその場で焼死するが、しばらく後にテログループのメンバーである若い二十代の男女3人が、犯行声明と遺書を残して集団自殺する。しかしセキグチは、現場で撮った写真で野次馬に紛れて笑っている老人のことが気になり、まだ事件は終わっていないと感じて取材を続けていく。

セキグチがテログループを追う過程で出会う人たちは、例えば駒込の文化教室の老人たちやカツラギという若い女性など、一様に現実感が薄い人間として描かれている。自殺したテログループの一員である女性の知人だというカツラギという女性は、若くて美人だが挙動不審で話すことが奇想天外だ。彼女は非常に不可解な存在のまま、やがてシャーマンや霊媒師の役割も果たしながら、セキグチをテロの世界へと導いていく。

テロ事件を追いかけるセキグチの脳裏には、今の時代を生きている日本人に対する疑問がいろいろと浮かぶのだが、それはそのまま村上龍自身の疑問のようだ。例えば、「今の時代、人との付き合いが得意で上手という人間がいるのだろうか」

これはコミュニケーション能力の問題ではなく、他人とのコミュニケーションには多大な労力が必要であり、その労力、つまり心のエネルギーが足りなくなっているのではないかというのだ。村上龍の目に映る人々は現実感が薄い。その原因は人々の心のエネルギーの枯渇にあるのではないか。そのような村上龍の様々な問題意識、視点がこの小説世界を構築している。

そしてこの小説は何故テロを必要としたのか?この小説が描こうとしたテロにはどのような意味があるのか?そこにはテロの恐怖に揺れている世界に対する村上龍の鋭い眼差しと絶望的な不快感がある。いつも村上龍はかなり丹念に取材をしてから小説を書き始めるが、本作でもかなりテロに対する取材をしていることが伺える。取材した豊富な情報により小説のリアリティーを構築するのは、まさに村上龍の真骨頂でもある。

カツラギはこんなセリフも口にする。「自殺考えてない人間なんかいないじゃないですか」と。人から生きる気力を奪い、絶望的な無力感を与える言葉だ。おそらく村上龍は今の日本から、このような言葉が聞こえるのだろう。そんな時代の要請もあって、この小説が書かれたとも言えるだろう。

この小説で描かれているテロは従来のテロではない。全く新しいテロだ。わたしたちの社会で何か異様なことが進行している。それが突如として姿を現したらどうなるか?この作品に登場するテロリストたちの一人は次のように大声で叫びながら自爆する。そこにあるのは村上龍の想像力による戦慄すべき言葉のテロだ。

「わたしは、法律、および、条例で、禁止、された、歩道で、自転車、に、乗る人々に、抗議し、死刑を、宣告、さらに、実行、いたしました。現在の、この、社会の、停滞と、衰退は、人々が、行動しない、という理由に、よって、もたら、されて、おります。わたし、わたし、わたし、わたしは、それが、我慢、我慢、できません、でした。よって、ゆる、され、ざる、人たちに、死刑を、宣告し、実行して、責任と、ともに、わたし、わたし、自身も、死刑を、選ぶ、もので、あります」(「オールド・テロリスト」からの引用)

村上龍の感じているテロの本当に恐ろしい効果とは、おそらく世界中の人たちが感じていることだろうが、「社会全体が疑心暗鬼に陥り、根底から安定が揺らぐ」ということだ。それは村上龍が「コインロッカー・ベイビーズ」で描いた主人公キクによるダチュラを使った都市の破壊とは性質が違う。

キクの破壊には説得力のある強い必然性があったが、この小説で描かれるテロには何の必然性もなく、動機は当然ながらはっきりせず、ひたすら不気味で醜悪で残忍な行為でしかない。しかしそこにある憎悪は、今の日本人の多くが抱えている憎悪であるのも確かだ。

なぜ村上龍は小説でテロを描こうとしたのか。我々の生きる世界においてテロは現実だ。インターネットにアップされた画像がテロではない。テロを自分の目で目撃した人間は茫然自失となって言葉を失い、立ちすくみ、嘔吐し、いつまでも動けない。テロはスマホの画面で起きているのではなく、わたしたちの社会で現実に起きていることなのだ。

テロは凄惨な映像が恐ろしいのではなく、現実に起こってしまったということ、現実にこれからも起こることが怖いのだ。何か重要なものがすっぽりと抜け落ちている。だが、それが何なのか、わからない。これ以上に怖いことがあるだろうか。

セキグチが契約社員として所属している編集部のマツノ君という青年が、テロを目撃した後に「今元気なのはバカだけだもんな」と呟くのだが、セキグチはその通りだと思いながら、他にも元気な連中がいることに気づいた。それが文化教室の老人たちだった。

なぜ老人のテロリストを描いたのか?「オールド・テロリスト」というタイトルに村上龍が込めた思いとは何か?それは「今元気なのはテロリストと老人だけ」という薄ら寒い現実に対する強烈な皮肉なのかもしれない。

今の老人たちは、ビートルズやローリング・ストーンズをリアルタイムで聞いて青春時代を過ごした世代なのだ。「弱虫はよく死ぬ。弱虫は老人にはなれない。老いるということは、これが、それだけでタフだという証明なのだ」。つまり63歳になった村上龍もオールド・テロリストなのだ。そして村上龍の文章にはいつも通り「偽の癒しや慰めはいっさいなく、現実を見据えた暗く乾いたリアリティ」だけがある。

読者はテロによる炎で焼かれ変わり果てた人間の描写を、ただ茫然と眺めるしかなく、「信じられない光景を見て悲鳴を上げるというのは嘘」であり、「ものすごいものを見てしまうと、悲鳴を上げる力も失う」ことを知る。果たして読者がテロの描写に精神の均衡を保てるかどうか、村上龍は挑発しているようにさえ感じられる。

セキグチはカツラギに導かれ、満州国籍を作るために努力していたグループの中枢にいた「先生」と呼ばれる老人と面会し、先生から十億円の資金と住居を提供され、チームを作って活動をすることになる。しかし活動しようにも何もわからない。

テロの容疑者は全員無職かフリーターの若者で、相互のつながりはなく、個々のテロの関連性もはっきりせず、組織的なテロなのかもわからない。動機もターゲットもわからない。必ずまたテロは起きる。しかしいつ起きるのかわからない。どこで起きるのかわからない。誰が狙われるのかもわからない。

わかっているのは、「キニシスギオという名称を持つ複数の老人たちがいて、彼らは何らかの動機があってテロを画策し、アル・カイーダのような分散型のネットワークを作って、魂の抜け殻のような若者たちをスカウトし実行犯に仕立て上げていたが、ネットワークの一部が暴走をはじめた」ことだけだ。

カツラギはセキグチに対して「できたら今すぐに世界中の人間を殺したいって思っている人間がいるんですよ。そういう人って、興味を持つ対象がいた場合、まず思うのは、とにかくこいつを殺したいってことです」と言うのだが、この言葉のリアリティを否定できる人間がどれくらいいるだろうか。誰もが薄々気づいていながら、認めたくないリアリティがここにはある。

オールド・テロリストのグループは、ごまかしが許せない。許せない場合は破壊するしかないと考えている。ごまかしとは、自分が自分であり、本当の自分を生きていくしかないという事実をごまかすことだ。そしてマスコミに大きな不信感を抱いている。

そしてセキグチはオールド・テロリストたちから「世の中に知らしめてほしい、わたしたちの正体も、本名も、全部書いてください。それが、あなたの役割なんです」と歴史を記録し発表することを懇願される。オールド・テロリストたちのリーダーはセキグチのことを「あなたは、選ばれました。あなたにはドキュメントを残す使命がある」とまで断言する。

当然セキグチには何のことかわからない。自分が利用されようとしていることはわかっているが、それと同時に自分の中に溜まってる劣等感や怒りが癒され、共感さえ覚えている自分に戸惑う。

セキグチの記事が発表された後に、オールド・テロリストたちは旧満州から終戦前後に運び込んだ88ミリ対戦車砲で原発に砲撃を加え、警察や自衛隊が攻撃してきたら戦争をすることを決めている。オールド・テロリストたちの戦争は既にはじまっていたのだ。もう一度日本を焼け跡に、廃墟に戻し、腐りきった日本をリセットするための戦争だ。彼らの怒りはリアルだ。



オールド・テロリスト
村上 龍
文藝春秋
2015-06-26