異文化を描くというのは文学では常套手段だった。異文化を語ることで、古くはガリア戦記、アーサー王物語などの英雄譚が彩られてきた。時代とともにその異文化はより遠くへと広がって行き、ロマン主義の時代になると「東」にまで舞台が広がる。しかしその「東」は今「中東」と呼ばれる地域だった。ロマン主義から一世紀ほど経過して、万国博覧会などを機にようやく日本の文化がヨーロッパで知られるようになる。

 それ以降多くの文学、舞台作品、絵画で日本の文化が紹介されることとなるが、奇妙な扱いをされることが多かった。ヨーロッパ
の人々から見て奇抜な外国と見える表現もあれば、日本人から見ても不自然で的外れな表現などが散見された。そしてそういった作品のいくつかは今でも偏見に満ちた、差別的な作品と批判されることがある。

 その最たる例の一つとなりうるのが『ミカド』だろう。19世紀のイギリスで人気を博したこのオペレッタは現在でも上演される作品ではあるが、多くの日本人は違和感を覚えるだろう。舞台は日本、登場人物の名前はナンキ・プー、ココ、ヤムヤム、そして中国と混同されている事が如実に伝わる描写、などなど配慮された演出無しでは日本人は素直に楽しむ事ができない内容になっている。

 近代の演出ではメガネのサラリーマンが登場するなど、もはや日本人を馬鹿にしているようにしか見えない。こういった理由から反発や社会問題につながりかねない要素もあり、実際にイギリスと日本でのこの作品の評価や人気は比較することもできない。こういった間違った固定観念に満ちた作品がアニメイシヨンで2015年に現れた。それが『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン』だ。


 もともとはブラッドレー・ボンドとフィリップ・ニンジャ・モーゼズらのアメリカ人コンビによる小説が原作で、日本人スタッフによって2015年にアニメ化された。わかりやすい曲解された固定観念のみで構成された筋書きや設定、舞台背景は『ミカド』以上と言えるだろう。NINJAと呼ばれる超人的な存在がKARATEを用いてYAKUZAと、もしくはNINJA同士で戦う。

 NINJAの体力の回復につながる有用な食べ物はSUSHI、死に際の台詞はSAYONARA。などなど『ミカド』よりも大きな問題を引き起こしそうな作品に思われるし、日本で受け入れられることが難しそうだ。しかし実際のところは、こういった設定を蔑視と受け取るような反応はほとんど見られず、『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン』の世界観は広く日本でも受け入れられている。


 『ミカド』との大きな違いはこの作品があくまでフィクションであり、現実の日本を描こうとしていないことが明白なところだ。フィクションであることが明らかならば、人物の心理描写などを除いて、現実とかけ離れたものでも問題は無くなる。これは異国を描くという問題への対応策として有効な手段だろう。

 マドレーヌから記憶をたどるというのは日本人には描けないし理解するのも難しい。それならばいっそ全てフィクションとして書いてしまえばいいのかもしれない。ゆうこりんがこりん星出身ということは許されても、ウエストを59センチとすることは許されない。