結局のところ、情報技術革命とは何だったのでしょうか?東浩紀さんは、情報技術革命の本質は「境界を壊していくことにある」と定義しています。

「境界を壊す」とは「企業、国家、家族、あらゆるレベルにおいて、組織の内外が直接につながり、従来の境界が無効になる」ということであり、それは現在も進行しています。

本書「開かれる国家」のテーマは「境界が消えていくそのような世界において、国家はどうなるのか」というものです。

情報技術革命はあらゆる組織の境界を破壊していますが、その中でも国家に絞って論じていこうというのが本書です。それではなぜ東さんは国家に限定したのでしょうか。

東さんにとって「国家について考えるということは、政治について考えること」です。最初に東さんはカール・シュミットとハンナ・アーレントを例に出します。

カール・シュミットはドイツの法学者・政治学者で思想的には保守・右翼、一方のハンナ・アーレントは政治哲学者でリベラル・左翼とされているのですが、対照的な2人の考えは次の点において一致しています。それは「政治は境界を作る」「境界がなければ政治は生まれない」ということです。

カール・シュミットは「政治は友と敵を分割することである」と言っているのですが、この考えは東さんによると「戦後社会ではたいへん評判が悪く」「取り扱いには注意が必要」だそうです。

なぜならばこの考えは「友と敵を分割し、敵の存在論的な殲滅をするのが政治である」という考えであり、ヒトラー政権におけるユダヤ人虐殺へとつながったからです。

それにもかかわらず東さんが例に出したのは、シュミットの議論が「今もさまざまな示唆を与えてくれる」からです。それはどのような示唆なのでしょうか。

実はシュミットの思想は現在の「反グローバリズム」の源流にあたるのです。「自由経済の進展により国境は消滅する」という議論に対し、「人間は共同体を作り友と敵を分割する生き物であり、人間が人間である限り国家は消えない」と主張しました。

一方アーレントは、古代ギリシアのポリスに理想の政治があると考えました。そこでは政治(ポリス)と経済(オイコス)は異なるものとして、厳密に区分して考えられていました。

つまりシュミット同様に「内と外を分割」しているのです。 アーレントが理想とする政治家像は「経済とか労働とかいったモノの問題をすべて横に置いて、わたしたちの生き方についてアゴラで討論する人々」であり、「自由経済に対する危機感」をシュミットと共有しているのです。

シュミットもアーレントも、「ヒトとモノをどんどん流通させ、共同体の境界を壊しつなげていく経済の力から政治の領域をどう守るか」という点で共通しており、東さんによると「今のぼくたちも、基本的にはまったく同じ枠組みのなかでものを考えている」ということです。

本書における議論は、次のような「哲学的で抽象的な問いかけ」へとつながっていきます。

「経済はすべてをつなぎます。政治は境界を作ります。そして情報技術はつながりを加速します。だとすれば、すべてがつながる世界で、政治とは、統治するとは、今後どのような行為になっていくのでしょうか。言い換えれば、ヒト、モノ、情報が境界なくつながっていく世界において、境界は必要なのでしょうか。人間は境界がなくても生きていけるのでしょうか」