一時期は日本でも大きく取り上げられ、ロラン・バルトは多くの論文の中で議論の対象となった。しかし最近では専門的に扱う哲学者、思想家は減り古典としてすらも扱われることは少なくなった。こういった現状を認めつつも、ここではバルトの残した功績とそこから見えるこれからの時代の哲学を語りたい。

日本では理系や文系という二系統に学問を大別し、多くの場所で文系は理系に劣っている、文系は無用だといった文章を目にする。特にその中でも哲学・思想系は立場が弱く、大学卒業後の進路も、特に博士課程以降、厳しい。

多くの科学者が日々ニュースで取り上げられる中で、存命の哲学者が華々しく語られることは極めて少ない。こういった理由の一つには社会への貢献度の違いがあるだろう。宇宙開発や医療関連の研究は分かりやすく生活を改善してくれそうに見え、大きく社会が変わるような印象を与えやすい。

一方で哲学の研究というと何の役にたつのか非常に分かりづらい。しかし文系と理系の中間に位置するとも言えるのが言語学だ。言語学といっても多くの分野にさら
に細分化され、意味論や音声学は全く別の学問体系だがここではチョムスキーの例をだしたい。

ノーム・チョムスキーは言語学を科学的なアプローチによる学問だと述べている。彼の最大の功績とされている生成文法はまさに科学的なものに見える。簡潔に述べると、言語における文法は複雑に構築され不規則さが多く見られるが、できる限り少ないルールで文法構造を記述し分析する方法が生成文法といえるだろう。

”The dog ate the bone”といった文は

[S [NP [D The ] [N dog ] ] [VP [V ate ] [NP [D the ] [N bone ] ] ] ]
と生成文法で記述され分析と分類が可能になる。

一見するとなぜ科学的だといえるのか分かりづらいかもしれないが、こういった記述はプログラミング言語などとの相性が非常によく、実際生成文法は人工知能に関する研究などにも大きく貢献している。

科学的に文法構造を分類することで、例えば、大量の文法データをプログラムに文法解析させ、そのデータから文法構造の雛形をコンピューターに認識させ、コンピューターが独自に文を作り出せるようになる。

チョムスキーの生成文法は最早言語学の分野では時代遅れで、批判も多く、当時の姿で今でも広く受け入れられる文法解析の方法は存在しない。しかし文系の今後の未来に貢献したといえるだろう。

こういった文系学問を科学的に扱うという考えは特にロラン・バルトらをはじめとした構造主義者たちによるもので、彼らの時代に多くの科学的な文系学問が生まれたともいえる。

一見して法則が無いようなものを記号にあてはめて分類して捕らえやすくするというのが構造主義の特徴だが、バルトは芸術や思想といったものを記号化して思考を容易にしている。神という存在がニーチェによって記号化され扱う事ができる単位になったように、バルトによって哲学的な思考が単位に変換された。

哲学者によって膨大な言語で説明されていた事柄を単純化したことで理解を容易にし、思考を高速化することに成功している。こういった翻訳、哲学者の語る膨大な思考を単純化して科学的記号にすることが今後の哲学者達の可能性になりうる。

人間の思考や精神をこうして科学的に扱うことによって、プログラム上で大量にデータを扱い統計的な資料を作る事ができ、また人工知能などにこういったデータを応用し、プログラミングに役立てる事ができる。

ウンベルト・エーコが記号論で行ったこともこの作業に近いが、プログラムに応用できるような記号化ではなく、より文系なアプローチになっている。アルゴリズムとしては不適切で、よりデジタルな方法が求められている。

アルゴリズムを練り直すことで思考の高速化とデジタル化が可能になる。アナログな思想をデジタル化するこの翻訳が、今後の哲学徒の可能性の一つだろう。