アメリカの夜 (講談社文庫)
阿部 和重
講談社
2001-01-17


90年代前半に大学生だった私は、ある時期渋谷に毎日のように地下鉄に乗って通っていました。目的の場所はセンター街の奥にあるHMV渋谷店。いわゆる渋谷系の聖地と呼ばれていたCDショップです。渋谷系のミュージシャンたちのCDが並ぶ棚の上にはフリッパーズ・ギターの二人、小山田圭吾と小沢健二の大きなポートレートが飾られていました。 そのポートレートが僕に教えてくれたのは、ここが渋谷の中心であり、時代の中心だということ。そう紛れもなく、あの時代を照らし出していたのはフリッパーズ・ギターでした。

二人の天才の放つ光はあまりにも眩く、それゆえにアルバムを3枚リリースしただけで、二人は泡のように静かに消えていきました。

「飛び出すよ flippers 世界で初 here comes the last song 佳境へとgo' お終いまでどうぞお楽しみを hey hey we're the flippers 物語へ back 世界等の秘密へ let's make track」(「THE WORLD TOWER」フリッパーズ・ギター)

渋谷系という言葉は90年代前半に使われだしました。具体的なアーティストとしては、フリッパーズ・ギター、オリジナル・ラヴ、ピチカート・ファイヴなどです。彼らの音楽は渋谷のHMV、タワーレコードなどの大型外資系CDショップから発信されました。この「渋谷系」という言葉が作家の阿部和重さんに使われたことがありました。 

阿部和重さんは94年に「アメリカの夜」で群像文学新人賞を受賞してデビューしました。その時の選考委員の一人が柄谷行人さんで、「大変力量のある新人が出てきたことを喜びたい」と選評で述べていて、非常に辛口な柄谷行人さんが新人を絶賛するのは異例中の異例なことなので、読者も凄く驚いたのを覚えています。

その当時の私は大学は卒業したものの、就職もせずにアルバイトで先の見えない暮しをしていました。そんな時に「アメリカの夜」を読み「自分もデビューしたい」との意を強くし、必死で小説のようなものを毎日書いていました。

「アメリカの夜」というタイトルは、作中にも出てくるフランソワ・トリュフォーの作品から採ったものです。阿部さんは日本映画学校を卒業していて、かなり映画の影響を受けた小説にもなっています。ちなみに最初に阿部さんがつけたタイトルは、ジョージ・A・ロメロの映画から採った「生ける屍の死」というタイトルだったそうです。個人的には「アメリカの夜」というタイトルはスマートですが、「生ける屍の死」というタイトルの方が小説世界を巧妙に言い当てていると思います。

主人公の唯生は当時の多くの若者たちと同じように、自分を特別な存在、自分は何かの才能がある若者だと思い込んでいますが、その正体は読書が好きな単なる自意識過剰な若者です。唯生は「Sグループの系列会社であるS百貨店S店が、80年代の中頃、同所に新店舗としてオープンさせたファッションビルS館の最上階にあるSホールという多目的文化催事施設」でアルバイトをしています。

このSホールとは阿部さん自身がアルバイトをしていた渋谷のシードホールがモデルとなっています。アルバイトは受付や場内の見回りといった楽で暇な仕事です。今では考えられないことですが、アルバイト中なのに仕事をすることのない時間は多く、唯生はその時間を活用して一生懸命読書に励むのでした。

私も同時代にホテルのフロント係のアルバイトしていましたが、普通の感覚で仕事の合間に読書をしていました。そうです。「バブル」だったのです。私が大学に入学した年がバブルのピークで、数年後に私は東京でバブルの崩壊を徐々に体感していったのでした。

僕が通っていた頃の渋谷は、すでに流行の最先端の発信基地の役目を終えようとしていました。まもなく渋谷はバブル時代に過剰になりすぎた資本投下の場所から、単なるガラクタばかりの虚しい場所へと急速に変貌しようとしていました。だから「アメリカの夜」の時代背景は痛いほどわかったのです。

物語は唯生が自分を侮辱した「アート系学生」たちを敵と見なし、とうとう本当に格闘が始まります。いわば「アート」で「バイオレンス」な「ホラー」のような「コメディ」の物語としても読めます。唯生は「ロマンチックな夢でも見ているかのように」、「気違いへと変容する輝かしくもばかばかしいイメージ」を脳裏に描きながら、「特別であるということは気違いであるということだ」と思い、「自分は気違いであらなければならない」と考える。

この小説の特徴は、新時代の文学を切り拓くデビュー作としては当然ですが、何といってもその文体にあります。80年代の映画批評やニューアカデミズムの文章を巧みに計算して利用しています。高橋源一郎さんはそれが単なる真似だと批判していましたが、肯定的な人達は、優れた小説は総じてそうなのですが、「批評的文体」そのものが上手く相対化されていると評価しました。特に冒頭の書き出しが凄い。

『ブルース・リーが武道家として示した態度は、「武道」への批判であった。リーは、自ら創出した「武道」である截拳道の理論化=体系化をもくろみ、それについての膨大な数におよぶメモやイラストを遺している。日本人の武道家である風間健という男が、リーの遺した截拳道に関するファイルを「魂の武器」という一冊の書物にまとめている。』(「アメリカの夜」からの引用)  

これは柄谷行人のマルクス論やカント論の文体の模写らしいです。もちろん私はそんなの読んだことはないから全然気付かなかったのですが。それでもこれが単なるパロディではなくて、本気で書かれた批評であることはびしびし感じました。

唯生は最後に自分が特別でもなんでもないただの人間であることを自覚し、次のように語り終えます

『これまで私が語ってきた彼=私の物語は、物語というよりも、そのできの悪い設計図を描く程度がやっとであった。けっきょく、物語における真の主人公の座は、たぶんまだ空席のままだ。それがいつまでつづくのか、いまの私にはまったく予測できない。私はなんでもないただの人間である。もはやそれ以上なにもいうべき言葉を私はもたない。私の模倣もここまでだ。』(「アメリカの夜」からの引用)


「アメリカの夜」は芥川賞にノミネートされましたが、選考会では完全に無視されました。私はなぜ「アメリカの夜」が受賞しなかったのか不思議でした。これから新しい時代の扉を開けんとする才能溢れる意欲的な作家に受賞させないで、何のための芥川賞かと思いました。

その後も阿部さんは傑作を発表し続けたのですが、なかなか受賞には至らず、無冠の帝王と呼ばれた時代もありました。そして2005年に「グランドフィナーレ」で、ようやく阿部さんは芥川賞を受賞したのですが、選考会では「そろそろ阿部くんに受賞させてやってもいいんじゃない?」という雰囲気があったとも言われています。阿部さん自身も「遅すぎた」という苛立ちを隠しきれないようでした。

いずれにしても「アメリカの夜」が90年代に発表されたことが、現代の日本文学にとって大いに意義があったのは確かです。
 


アメリカの夜 (講談社文庫)
阿部 和重
講談社
2001-01-17