MONKEY vol.15 アメリカ短篇小説の黄金時代
村上 春樹
スイッチパブリッシング
2018-06-15  



 柴田元幸責任編集『MONKEY vol.15 summer/fall2018』を発売日の6月15日に名古屋の書店『ON READING』さんにて購入し、その場で柴田元幸さんにサインして頂きました。その日『ON READING』で柴田さんの朗読会が開催されたのです。

 朗読会なるものには初めて参加したのですが、静かに淡々と朗読されるのかと思いきや、とても力強く大きな声で、身振り手振り交えながら、極めて情熱的に柴田さんは朗読してくださいました。薄暗い照明の下、決して広いとは言えないがとても親密な本屋さんの空間で、まるで情熱的なバイオリニストのような朗読でした。

 柴田さんがその手に持っていたのは本ではなくて、横向きの原稿用紙の束のようなものでした。その束を振り回すように、或いは情熱的な指揮者のように朗読されていました。本当に凄いものを見てしまった。

 最初の朗読作品はスティーヴン・ミルハウザー。柴田さんの発する言葉を追いかけて、あれこれ思考を巡らせようとしましたが、やがてそんなことをしても無駄だと気づきました。考えては駄目だ。とにかくただ感じるんだ。

 そこに水があればそのままぐいと飲み込んでしまうように。それは説明すべきものではなく、飲み込まれるべきもの。純粋な感覚が複雑な理屈を凌駕している。柴田さんの声をただ聴けばいいのだ。鳥が空で緩やかな円を描くように。

 柴田さんの朗読する声が会場の空間に響き渡り、紙に書かれた文字を吹き消そうとしている。作品を朗読することにより、柴田さんはおそらく何かを強く訴えようとしている。それは柴田さんが翻訳を通して個人的に暗号化することを目的としたものではないか?

 そしてその朗読を聴く聴衆もまた、何かを強く求めている。その夜、会場に集まった人たちの中には、対象をすぐ何かの基準で判断し、評価しようとするような愚かな人間は一人もいないようでした。みんな黙ったまま、賞賛の言葉も批判の言葉も口にすることなく、ひたすら聴くことに集中していました。

 私の隣の椅子に座った端正な顔立ちの女性は柴田さんの声が耳に届いた瞬間、少し首を傾げて、明らかにそれまでとは目の色が、目の輝きが変わりました。途中、何度も彼女に話しかけたいという衝動に駆られましたが、(内気なので)最後まで話しかけることなくひたすら沈黙を守りました…。

 今ここで目に見えるものを見ること。今ここで聴こえるものを聴くこと。解釈や評価は後ですればいい。すぐに意味や理由などを考えず、いろいろな判断を後でゆっくりしたらいいというのは、おそらくとても贅沢なことなのでしょう。

 素敵な思い出になりました。夢のように美しい夜でした。もしかしたら本当に夢だったのかもしれない。その夜、『ON READING』で起こったことの全てが、夢の中の出来事であるかのように思えます。どこまでが現実で、どこからが現実でないのか、その境界ははっきりしないけれども、もはやはっきりさせる必要もないかもしれません。それは「かもしれない」で終わらせていい話なのです。永遠に胸の中にしまっておきたい大切な記憶。

 朗読会が終了すると、柴田さんは疲れも見せず、すぐにサイン会を始めてくれました。幸運にも私は最初にサインをしてもらえました。私が買ったばかりのMONKEYを柴田さんに差し出し、「これにサインして頂けるのですか?」と恐る恐る尋ねると、柴田さんは「もちろん、もちろん」と喜んでMONKEYを手に取り、少し躊躇してからページをめくりました。

 表紙をめくるとR.O.BlechmanさんのEVOLUTIONというMONKEYのマンガが描かれていたのですが、柴田さんは「ここだとマンガが汚れちゃうな」と言って、もう1ページめくり、「猿のあいさつ」という柴田さんによる巻頭挨拶文のところに、右上に私の名前を書いて、左下に柴田さんのサインをしてくれました。「2018/6/15 柴田元幸こと猿」と、柴田さん特有のとても丸っこい文字で。

 サインした柴田さんはMONKEYを私に返してくれて、「文字が乾くまで数秒間開いたままにしてね」と言ってくださって、私は「ありがとうございました」とそのまま受け取り、しばらく店内でMONKEYを開いたまま柴田さんのサインを見つめていました。柴田さん、そして『ON READING』の黒田さん、本当にありがとうございました。

 東山線東山公園駅そばの古いマンションの一室でひっそり営業している『ON READING』を出た私は、マンションの廊下の手すりにしばらくもたれて、夜の風に当たりました。その廊下からの眺望が私は好きでした。東山公園に静かに浮かび上がる東山スカイタワーが見える。

 春の夜の闇の中に、白い光をぼんやりと発していました。動物園にいる動物たちの声が聞こえてきそうでした。この古いマンションの周辺には、東山動植物園の空気が漂っている。その空気には動物園の動物たちの匂いと、植物園の植物たちの匂いが入り混じっていました。

 突然小沢健二の歌声が聞こえてきました。「夢が夢なら」のメロディーがふと脳裏によみがえる。「ああ、夢が夢ならそれでも構わない。僕はあなたに会えたことをずっと幸せに思うはず。ああ、君がいた頃のことを思わない。僕は一人で生きることを学ぶさと思いながら・・・」そういえば柴田元幸さんは小沢健二の英語の先生でもあった…。

 通りの向かい側には東山ビルという昭和の渋いビルが暗闇の中に沈黙するように建っていて、その手前にファミリー・レストラン『ガスト』の丸い小さな赤い看板が、まるで何かの目印のように空中に浮かび上がって見える。まるで箕輪麻紀子さんのイラストのように。

 ガストの中で小さく響くナイフとフォークの音が聞こえてきそう。こんな素敵な場所に『ON READING』という本屋さんが存在してくれたことに、心から感謝したくなった。ここはきっと人が本を読むための特別な場所なのだ。或いは現世的なものごとの対極にある空間なのだ。その光景には本が好きな人の心を強く惹き付ける何かがある。読書を慈しむための特別な場所と言っていいかもしれない。

 さて、そんな柴田元幸さん責任編集の『MONKEY vol.15 summer/fall2018』の特集は「アメリカ短編小説の黄金時代」です。特集の核となるのは村上春樹さん翻訳のジョン・チーヴァーの6つの短編作品です。以前から1950年代アメリカを取り上げてみたいと思っていた柴田さんが、村上春樹さんが50~60年の代表的な短編作家ジョン・チーヴァーを訳されていると知り、今回のMONKEYに登場をお願いしたそうです。

 村上春樹さんと柴田元幸さんの対談「小説に大切なのは礼儀正しさ」も掲載されています。村上さんは「女のいない男たち」のまえがきで柴田さんのことを「畏友」と呼んでいます。また「『MONKEY』はどちらかといえば尖った若い読者向けの、新しい感覚の文芸誌。個人商店」とも書いています。そんな柴田さんの超個人商店であるMONKEYで、畏友同士の親密な心の交流が読めるのも贅沢な話です。

 村上さんは短編小説家としてのチーヴァーをかなり高く評価していて、同時に強いシンパシーも感じているようです。「非常にインディペンデントな人と僕は捉えているんですよ。依って立つべきものを持たなかった。主張があるわけでもないし、これを書きたいというのもないし、何か新しい手法を考案したわけでもないし、強固な個人力で生き残ってきた人です」と語り、それに対して柴田さんも「なるほど。だからこそ訳す気になる」と同意しています。つまりそれって村上春樹もそういう作家な訳です。

 そして村上さん訳のチーヴァー作品群を補完するために柴田さんが訳した作品が、チャールズ・ブコウスキー、シルヴィア・プラス、ウィリアム・ゴイエン、ジェームズ・ボールドウィンの4作品です。「あくまで作品として魅力があり、かつ未邦訳か、邦訳があっても入手困難なもの」が選ばれているのが渋くてファンにとっては嬉しいですね。

 さらに新作も二編、バリー・ユアグローとスティーヴン・ミルハウザーの、まだ自国でも活字になっていない作品が柴田さんの手で訳出されています。当の作家が「こんなのを書いたよ」と未発表の作品を柴田さんに送ってくれるそうです。柴田さんとアメリカの作家の信頼関係は厚い。柴田さんはそのことがとても単純に嬉しいそうです。それを読める日本の読者も幸せ者です。

 それでは1950年代アメリカがなぜ短編小説の黄金時代なのか?50年代アメリカ?すぐに特別なイメージが湧く人は少ないかもしれません。柴田さん自身も「豊かではあったけれど、何につけても画一的で、生き方の選択肢がそれほど豊かではなかったらしい時代」「さんざん腐されてきた時代」と書いています。

 そういえば、ウディ・アレンの最新作”Wonder Wheel (女と男の観覧車)”も1950年代のコニーアイランドが舞台だったな。私はとても熱心な映画愛好家とは言えないが、ウディ・アレンのその作品はたまたま映画館で観た。

 いささか理解しがたいというような部分もなかったし、非常にテンポが良く、その暗示的な雰囲気、映像のトーンや、独特の心理描写を楽しむことができた。見終わった時、ウディ・アレンの別の作品も是非観てみたいと思ったくらいでした。

 ウディ・アレンの作品にはチーヴァーの作品に通底するものがあっただろうか?適度に革新的ではあるが、決して前衛的ではないところ?黙々と脈打つ矛盾を含んだ遠いこだま?少女のようなシャイな好奇心に満ちた、求心的かつ繊細な精神?

 MONKEYにはバリー・ユアグローと川上未映子さんの対談「誰とも違う二つの声」も収録されているのですが、その中でバリーは「ウディ・アレンにインスピレーションを受けて書いていた時期もあったのですが、ウディ・アレンもどんな映画を作ろうと常にウディ・アレンの映画ですよね」と語っています。

 MONKEYは対談が絶妙なタイミングで挿入されています。小説を集中して読むといささか疲れてくるので、小説作品の合間に対談があるとリラックスして楽しめて、雑誌としてはとても良い構成になっていると思います。雑誌にはそういうリラックスした時間も必要なのだ。それにしても柴田さんは司会がお上手だなあ。

 そして1950年代のアメリカ文学をいまふり返ると、「人とどうつながるか」が大きな共通テーマになっていると柴田さんは考えています。1951年「キャッチャー・イン・ザ・ライ」1952年「見えない人間」1957年「店員」1958年「ティファニーで朝食を」…。

 「こうしたテーマのさまざまな変奏を見る上で、当時非常に活気のあった、短編小説というジャンルは格好の媒体」だと柴田さんは思い、「作家がよい短編を書けば、それを載せてしかるべき原稿料を払う雑誌があり、それを買って読んで味わう読者も一定数いた時代」として、今回の「アメリカ短編小説の黄金時代」という特集が生まれました。

 柴田さんとの対談で村上春樹さんは「典型的な50年代作家とは言えないだろうけど、彼(チーヴァー)を抜きにしては50年代のアメリカ文学は語れないかもしれない。とくにアイゼンハワー政権下のアメリカ社会の空気みたいなものは」と語っています。

 もちろんMONKEYは小説作品がメインな訳ですが、小説の合間に挿入されているR・O・ブレックマンさんの絵も素晴らしいです。MONKEYの世界、チーヴァー作品の世界にぴったり自然にフィットしていて、それでいて存在感が微妙に控えめなのがとても味わい深い。

『 Why I Write Short Sotries (1978) 「なぜ私は短編小説を書くのか?」ジョン・チーヴァー』からの引用 

 「しかしながら我々が経験によって支配されている限り、そしてその経験が強烈さと挿話的性質によって特徴付けられている限り、我々は短編小説というものを文学の中に含め続けるだろうし、言うまでもないことだが、文学がなければ我々は滅びてしまうだろう。F・R・リーヴィスが述べているように、文学とは文明化された人間の第一の特性なのだ。」

 「文学がなければ我々は滅びてしまうだろう」…いいですね…勇気付けられますね。「文学なんか無くても困らないだろう?」と言われたらチーヴァーのこの言葉を借用しましょう。或いは次のようにパラフレーズしてみてもいいかもしれない。『MONKEY』がなければ我々は滅びてしまうだろう、『ON READING』がなければ我々は滅びてしまうだろう、と・・・




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